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【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第2節 似て非なる [10]




「あんまりよっ! サイテーだわっ」
「そんなに怒鳴らなくても」
 ココアのカップを啜りながら涼しい顔で咎める美鶴。その声が、逆に緩の火に油を注ぐ。
「あなたに言われたくないわっ! そもそもこんな事になったのはあなたのせいなのよっ」
「はぁ?」
 八つ当たりのような言葉に呆れながら、口など出さなければよかったと肩を竦める。視線を逸らせるその姿がなお腹立つ。
「そうね、あなたはいいでしょうとも。そうやって気取ってココアでも飲みながら私の無様な姿を嗤っていればいいんだからっ」
「無様って」
「あなたはどうせそういう人よ。人を嗤い者にして楽しむような人間なんだから」
「何それ? 私がいつアンタを嗤った?」
「嗤っているわよ。心の中ではコスプレ衣装を着ている私を想像して嘲笑っているのよっ!」
 途端、美鶴は顔をあげた。目を丸くし、しばし無言で紅潮する緩の顔を見つめ、そうして間抜けた声を出した。
「え? アンタ、コスプレの衣装なんて着るの?」
「はぁ?」
 今度は緩が呆れる番。
 だってそうだろう。先ほどの駅前での幸田の言葉といい、いまの幸田の発言といい、緩がコスプレの衣装に関わっているのは容易に想像ができるはずだ。それを何だ? 今さら緩に向ってコスプレの衣装を着るのかと聞いてくるなんて、大迫美鶴という人間はよっぽど勘の悪い女なのか?
 呆れてモノも言えない緩に向って、美鶴がもう一言。
「何? アンタ、幸田さんの衣装作る手伝いをするんじゃないの? だから私、アンタは裁縫でも得意なのかと思ってたんだけど。なんだ、衣装着る方の手伝いだったんだ」
 ―――――っ!
 緩は大口を開け、胸いっぱいに息を吸った。だが、吐きながら声を出す事はできなかった。
 確かにそうだ。幸田は、衣装を作る手伝いをしてくれとは言ったが、衣装を着てくれとは言わなかったし、緩が衣装を着るというようなニュアンスの言葉も使わなかった。ゲームの衣装とも言ったが、緩がゲームにハマっているなどとは、一言も言わなかった。
「まぁ確かに、ゲームの衣装なんて聞いた時は一瞬くらいは着るって状況を考えたりもしたけどね」
 美鶴は上目遣いで首を傾ける。
「アンタがコスプレ衣装を着るなんて想像できなかったから、あり得ないと思ってた。ゲームするような人間にも見えないし」
 ゆっくりと瞬きをする美鶴。瞬きすらできない緩。
 こんな―――― ことって。
 単なる早合点。
 自分の愚かさと、今度こそ間違いなくバレてしまったという羞恥と、そしてなにより嫌悪する大迫美鶴に自らバラしてしまったという情けなさ。緩の頭は混乱を極める。
 私って、バカ。
 そんな相手に、美鶴はため息をついた。
「別に私には関係のない事だけどね」
 そのうんざりとしたような態度に、緩の何かがプツリと切れた。
「想像できなくて、申し訳ありませんでしたわね」
 その声はどこか虚ろ。低く、微かに震え、ぼんやりと呟くようでもあり、だが確かに美鶴へ向って放たれている。
「えぇ、そうですわよ。私、コスプレ衣装を着るんです」
 羞恥と怒りと情けなさでゴチャゴチャになっていた頭の中が、急に静かになった。
「私、ずっとそういう服を着たいと思っていましたの。可笑しいでしょう? 馬鹿みたいでしょう? 嗤えばいいんですわ」
「いや、別にバカみたいだとは」
「いいえ、バカですわ。あなたはきっとそう思っているはずです。いいんですのよ、嗤えば。盛大に嗤い飛ばせばいいんです。ははは… あはははははは……」
「別に嗤ったりなんてしない」
「いいえ、嗤っていますわっ!」
 突然激しく叫びズカズカと美鶴へ詰め寄る。止める幸田など振り払い、ソファーで優雅にココアのカップを手にする美鶴を見下ろした。
「嗤っていますわ。私の事を、馬鹿で能無しではしたない人間だと嗤っているんですっ! そうですわっ! みんなそうです。勉強もしないでゲームや遊びに興じている一般市民のようだと、品格も無い、目の前の享楽に踊らされて毎日を無駄に過ごしているくだらない他校の生徒のようだと、嗤っているのですわ。唐渓に通う価値も無い生徒だと嗤っているのよっ!」
「ちょっと、何を突然」
「突然じゃありませんわ。あなたはそうです。そういう人です。そうやって私の事も山脇先輩の事も弄んでいるのですわ」
「瑠駆真は今は関係無いだろ」
「いいえありますわっ」
 もはや緩の耳には何も届かない。
「でも山脇先輩はあなたとは違います。そうですわ。山脇先輩だけは私を認めてくださるんです」
 恋愛ゲームにハマる緩を小バカにする義兄の卑劣な態度から救ってくれたのも、廿楽という後ろ盾を失って除け者にされる緩を助けてくれたのも瑠駆真。
「山脇先輩だけなのですわ」
「アンタやっぱり、本当は瑠駆真の事が好きなんじゃない?」
 一拍の後、緩はキッパリと答えた。
「えぇ、そうですわ」
 もうどうでもいい。もうここまでバレてしまったのだ。あとどれほどの秘密が露見したところで、もはや失う物はない。
 今まで必死に心内を隠してきた分、(さら)す事によって得られる開放感も大きい。
「私は山脇先輩の事が好きです。誰よりも、世界中の誰よりも山脇先輩の事が好き」
 両目を見開き、相手に否定などさせるものかといった気迫で身を乗り出す。
「あなたみたいに、人を見下して小馬鹿にして愉しんでいるような人間とは違います。私は純粋に、一途に山脇先輩を想っています。あなたのように人を嘲笑って愉しんでいるような醜い人間には絶対にわからない」
「だから、別に嗤ってなんかいないって」
「いいえ、嗤っていますわ。嗤っている。絶対に絶対に私の事を嗤ってる。アニメやゲームにハマっているくだらない人間だって思ってる。コスプレ衣装を着て自分は綺麗だと自惚(うぬぼ)れてる馬鹿な奴だって嗤ってる。身分も(わきま)えずに山脇先輩に恋心を抱いた不敬な輩だと思っているはずっ!」
 美鶴が口を挟む隙も与えず、興奮しながら叫びあげる。
 抑えられない。どうしても我慢できない。自分が想いを寄せる異性を弄ぶような女に目の前で嗤われているのかと思うと、緩はどうしても我慢ができない。
 そうだ、きっとこの女は嗤っている。この女だけじゃない、きっとそのうち学校中にも広まる。私がゲームにハマっていてコスプレ衣装に憧れていて、こっそりイベントも観覧してるって、きっとそのうち学校中で噂になるわ。だってこの女が広めるに決まってるもの。
 この女はそういう女。だって、山脇先輩に無理矢理迫ってキスまでした意地汚い女なんだから。
「ヘンタイッ サイテーッ ロクデナシッ!」
 思いつく限りの罵声を浴びせる。
「悪魔っ! 化け物っ! あなたなんかこの世に生きている資格もないのよっ!」
「あの、緩さまっ」
 幸田が必死に背後から抱きかかえる。美鶴はその勢いに呆気に取られ、ソファーから立つ事もできない。







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